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横浜地方裁判所 昭和60年(ワ)142号 判決 1990年7月11日

原告 飯田幸男

右訴訟代理人弁護士 安田寿朗

右同 安江祐

被告 平和交通株式会社

右代表者代表取締役 新井員弘

右訴訟代理人弁護士 岡田尚

右訴訟復代理人弁護士 武井共夫

主文

一  被告は原告に対し、金一億一一九二万一二〇二円及びこれに対する昭和五七年三月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その二を原告の、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は原告に対し、金一億七五六二万一四〇七円及びこれに対する昭和五七年三月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(損害総額一億九九六〇万〇四七六円のうち右金員の支払を求める一部請求)

第二事案の概要

本件は、被告の従業員が運転するタクシー車と衝突して負傷した原動機付自転車の運転者が自賠法三条に基づき損害賠償を請求した事件である。

一  争いのない事実

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五七年三月五日午後二時三〇分頃

(二) 場所 横浜市西区南幸一丁目四番地先交差点(以下「本件交差点」という)

(三) 加害車 普通乗用自動車(タクシー車、横浜五五う三三六)

運転者 訴外石原達信(以下「石原」という)

所有者 被告

(四) 被害車 原動機付自転車

運転者 原告

(五) 態様 原告が信号機による交通整理の行われていない本件交差点を岡野町方面に向けて直進中、進路右前方から本件交差点に進入してきた加害車と衝突し転倒した。

2  責任原因

被告は、加害車を所有し、これを自己のため運行の用に供していた者であるから、自賠法三条に基づく責任がある。

二  争点

1  自賠法三条但書の免責及び過失相殺

被告は「本件事故は被害車を運転していた原告が本件交差点に進入するに際し、一時停止をせず、駐車中のタクシー車の間から突然進行した過失により発生したものであり、石原には何らの過失もない、仮に石原に過失があるとしても、その割合は一割程度であり、原告の損害について大幅に過失相殺すべきである」と主張する。

2  原告の頚椎後縦靱帯骨化症による頚髄症及びこれに基づく四肢不全麻痺、知覚障害等の後遺障害と本件事故との因果関係

被告は

(一) 原告は本件事故前から頚椎後縦靱帯骨化症に罹患しており、また原告が頚髄症と診断されたのは本件事故から約二年三か月経過したときであるから、原告の頚髄症は本件事故に起因するものでないし、これに基づく後遺障害も同様に本件事故と因果関係がない

(二) 仮に因果関係があるとしても、頚髄症に対する本件事故の寄与率は四〇パーセントを上回ることはないと主張する。

3  後遺障害の程度

原告は「後遺障害の程度につき、自賠責保険調査事務所により認定を受けた自賠法施行令第二条別表後遺障害別等級表(以下「等級表」という)第六級(併合)は、調査不十分のままなされたものであって不当であり、等級表第三級以上に該当する」と主張し、被告はこれを争う。

4  損害額

第三争点に対する判断

一  自賠法三条但書の免責及び過失相殺

1  被告の従業員石原の過失の存否

(一) 証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められる。

(1)  本件事故現場は、別紙図面<略>のとおり、横浜駅西口広場前の、鶴屋橋方面(北東)から岡野町方面(南西)に通ずる市道(以下「甲道路」という)と鶴屋町三丁目方面(西方)から横浜駅西口方面(東方)に通ずる道路(以下「乙道路」という)がやや斜めに交差する、信号機による交通整理が行われていない変則交差点であり、甲道路は、本件交差点入口までは歩車道の区別がなされ、同入口の幅員一〇・四メートル、車道幅員五・九メートルのアスファルト舗装の道路で、ほぼ直線かつ平坦であるため前方、左右に対する見通しは良く、最高速度が時速四〇キロメートルに、また鶴屋橋方面から岡野町方面に向けて一方通行の規制がされている。他方乙道路は、本件交差点入口まで歩車道の区別がなされ、アスファルト舗装された、幅員一〇・五メートル、同入口付近の車道幅員七・三メートルの平坦な道路で、前方、左右の見通しはよく、鶴屋町三丁目方面から横浜駅西口方面に向けて一方通行の規制がされている。

(2)  石原は、乗客を乗せ、乙道路を鶴屋町三丁目方面から横浜駅西口方面に向け、時速約二五キロメートルで本件交差点に進入するに際し、当時乙道路の左側車線上に本件交差点入口付近からその前方にかけて横浜駅西口構内のタクシー乗り場に向かう空車タクシーが二列になって停車していたため、交差道路(甲道路)の左方の見通しが悪かったにもかかわらず、本件交差点入口手前約一二・八メートルの地点で、前方の横浜駅西口一般乗降場に気をとられたまま同速度で漫然進行したため、交差道路の左側から本件交差点に進入してきた被害車の発見が遅れ、被害車を左前方約九・三メートルに初めて発見し急制動の措置を採ったが間に合わず、被害車のハンドル部付近に加害車の前部中央付近を衝突させ、原告を左前方約五・九メートル飛ばせて転倒させた。

一方原告は、甲道路の本件交差点入口手前にある左側の歩道上に停めてあった被害車を車道まで押し出し、本件交差点入口付近にある横断歩道の南西端(別紙図面P地点)から甲道路を鶴屋橋方面から岡野町方面に向けて直進するに際し、左右に前記空車タクシーが停車していたため、左右の見通しが悪かったにもかかわらず、後方を確認したのみで漫然発進し時速一五キロメートルに加速したため、約一四メートル直進したところで、右方から進行してきた加害車と衝突した。

(二) 以上の認定事実によれば、石原は、見通しが悪く、交通整理が行われていない本件交差点を直進するに際し、減速徐行し、左方の安全を確認して進行すべき注意義務を怠った過失により本件事故を発生させたものというべきである。

したがって、被告の、石原に過失がないことを前提とする自賠法三条の免責の主張は、その余の点を判断するまでもなく理由がない。

2  過失相殺

前認定の事実によれば、原告にも、見通しが悪い本件交差点を直進するに際し、右方の安全を確認して進行すべき義務があったにもかかわらず、これを怠り、漫然進行した過失があるというべきである。

そして、以上認定の過失の内容、程度その他本件記録にあらわれた諸般の事情を総合考慮すると、過失割合は石原が七割、原告が三割と認めるのが相当である。

二  原告の受傷(ことに頚椎後縦靱帯骨化症による頚髄症)及びこれに基づく後遺障害と本件事故との因果関係

1  証拠<証拠略>によれば、次の事実が認められる。

(一) 原告は、本件事故により、右膝関節側副靱帯損傷、頭部・右肩・両下肢打僕、頚部・右膝関節・左足関節捻挫、下腿膝関節内骨折の傷害を負い、昭和五七年三月五日から同月三〇日まで植松病院に入院して治療を受けたほか、左記のとおり、入、通院して治療を受けた。

植松病院

通院 昭和五七年四月一日から昭和五八年七月七日まで(実日数二二四日)

傷病名 右入院時に同じ

天野眼科

通院 昭和五七年四月三〇日から同年九月二七日まで

植松耳鼻咽喉科医院

通院 昭和五七年八月四日

傷病名 耳鳴、眩暈症(頚部挫傷による後遺症の疑い)

横浜市立大学医学部病院整形外科

通院 昭和五七年九月八日から昭和五八年九月二〇日まで

傷病名 右膝内側々副靱帯損傷、右膝挫傷、関節内血腫

右大学医学部病院脳神経外科

通院 昭和五七年九月一七日から同年一二月八日まで(実日数5日)

傷病名 頭部外傷、頚椎捻挫

通院 昭和五九年五月二一日から同年七月九日まで

傷病名 頚椎捻挫後遺症、後縦靱帯骨化症

横浜船員保険病院

通院 昭和五七年九月二一日から同年一〇月一四日まで(実日数四日)

傷病名 右陳旧性外側々靱帯損傷

横浜桐峰会病院

通院 昭和五七年九月二二日から昭和五九年七月二日まで

傷病名 頭部・頚部挫傷後遺症、右膝外傷性膝関節炎

国際親善総合病院

通院 昭和五七年九月二七日から昭和五八年七月七日まで(実日数一五日)

傷病名 眼精疲労、調節障害

昭和大学藤ケ丘病院

通院 昭和五八年六月二二日から同年一二月一四日まで(実日数四二日)

傷病名 外傷性頚部症侯群、腰椎々間板内障、頚椎後縦靱帯骨化症、脳挫傷

神奈川リハビリテーション病院

入院 昭和五九年七月一六日から昭和六〇年三月四日まで

傷病名 頭部外傷、頚椎捻挫後遺症、頚椎後縦靱帯骨化症による頚髄症

(二) 原告は、右入通院治療により、右膝関節捻挫等の症状は次第に軽減したが、植松病院に通院中からあった右肩・上肢・手のしびれ、疼痛などの症状が持続し、また横浜桐峰会病院に通院中にも、両下肢のしびれ、右上肢の知覚鈍麻、頚部・頚椎の背屈不能、眩暈等の症状があったが、右横浜桐峰会病院で、これらの症状は右膝外傷性膝関節炎、頭部・頚部挫傷後遺症として昭和五八年九月一四日、症状固定した旨診断された。また横浜市立大学医学部病院整形外科において、原告の症状は、両膝の可動域は正常であるが、運動痛があり、右膝の側方及び前方への動揺性がある状態で、同月二〇日固定した旨診断された。

しかるに、原告は昭和大学藤ケ丘病院において、昭和五八年一〇月一五日、頚椎後縦靱帯骨化による頚髄症と診断され、また横浜市立大学医学部病院脳神経外科において、昭和五九年五月二一日、検査の結果、同病院における最初の通院時には見られなかった排尿、運動、知覚の各障害及び第四ないし第六頚椎の後縦靱帯の骨化が認められ、頚椎後縦靱帯骨化による頚髄症及び頚椎捻挫後遺症と診断された。

その後、原告は、眼球運動調節障害による複視及び追視障害、四肢不全麻痺、知覚鈍麻(胸部より下)の症状により前記のとおり、神奈川リハビリテーション病院に入院して、頭部外傷、頚椎捻挫後遺症、頚椎後縦靱帯骨化症による頚髄症と診断された。そして原告は同病院で昭和五九年八月二一日及び同年九月一七日の二回にわたって手術を受けた後、約六か月間リハビリテーションを受けたが、症状の改善はほとんど見られず、歩行器による歩行が可能となったにとどまり、昭和六〇年三月七日、四肢不全麻痺(歩行不可能)、四肢体幹の知覚異常、膀胱直腸障害、眼球運動調節障害による複視等の障害を残して症状が固定した旨診断された。

(三) 原告は、症状固定と診断された後の昭和六〇年三月二三日以降現在まで、四肢不全麻痺、知覚異常の軽減と膀胱直腸障害に伴って発症する可能性のある膀胱炎あるいは便秘症を防止するため、神奈川リハビリテーション病院に通院して投薬治療を受けている。

(四) ところで、頚椎後縦靱帯骨化症による頚髄症は、脊椎管の中にあって椎体を支える靱帯のうち後部にある後縦靱帯が骨化し、同じく脊椎管を通る頚髄を圧迫することによって発現する脊髄症状であるが、脊椎管の大きさ等とも関連し、後縦靱帯の骨化が相当すすんでいるからといって必ず右の症状が発現するというものではない。一方後縦靱帯の骨化が普通程度にあっても、軽度の外傷により頚髄症が発現することは一般に認められており、また後縦靱帯の骨化自体は加齢現象等により徐々に発生、進行するものであるが、外傷により骨化が進行し、あるいは症状が増悪することも十分にあり得ることとされている。

(五) 原告は、本件事故前から第四、五番目の頚椎後縦靱帯が骨化していたことが推認されるが、本件事故前においては、普通に日常生活を送っていたもので、手足の痺れや知覚異常等の症状はなく、病院で治療を受けるということもなかった。

また原告は、本件事故後の昭和五八年二、三月頃、電車での通院途中、駅の階段で転倒したことがあり、同年五、六月頃にも自宅の風呂場で転倒したことがあるが、いずれも頭部を打ったものではなく、これによって症状が悪化したということはなかった。

2  以上の認定事実及び原告が衝突地点から約六メートルも飛ばされた事故態様によれば、原告が本件事故以前から頚椎後縦靱帯の骨化という素因を有していたにせよ、頚椎後縦靱帯骨化症による頚髄症は本件事故による衝撃によって発症し、増悪したものというべきであり、またその余の前認定の各病院で治療を受けた障害及びかような障害に起因する後遺症状も本件事故と因果関係があるというべきである。

したがって、原告の脊髄症状は頚椎後縦靱帯の骨化という素因に基づくものであり、また本件事故以外の頭部の打撃によって発症したものである旨の被告の主張は採用できない。

3  次に被告は、頚椎後縦靱帯骨化症による頚髄症及びこれに起因する後遺障害は、原告の頚椎後縦靱帯の骨化という本件事故以外の素因も寄与しているから、原告の損害額の算定に際しては、寄与度を考慮して割合的に認定すべきである旨主張するので判断するに、「不法行為者はその被害者をあるがままの状態で引き受ける」というのが不法行為法上の原則であるから、加害者は、損害の発生・拡大に関して被害者の素因が寄与している場合でも、その結果のすべてについて責任を負うべきであり、損害が加害行為のみによって通常生じる程度、範囲を超え、かつ損害の拡大について被害者の心因的要因が寄与している場合には、例外的に、損害賠償法を貫く公平の理念から、損害の拡大に寄与した被害者の右事情を斟酌することができるものと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、前認定のとおり、原告には、本件事故前から頚椎後縦靱帯に骨化があり、これと本件事故とが競合して頚髄症が発症したものであり、頚椎後縦靱帯の骨化が損害の発生・拡大に寄与していることは明らかであるが、これは原告の体質的素因にすぎないから、右例外の場合にいう心因的要因ではない。

そうすると原告の損害額を算定するにあたって、右の体質的素因を斟酌することは公平の理念に照らし許されないというべきであり、この点に関する被告の主張は採用し得ない。

三  後遺障害の程度

右二の1で認定した事実によれば、原告は、四肢不全麻痺(歩行不可能)、四肢体幹の知覚異常、膀胱直腸障害、眼球運動調節障害による複視等の障害を残し、昭和六〇年三月七日症状が固定したことが明らかであり、その程度は自賠法施行令第二条別表後遺障害別等級表三級三号に該当するものと認めるのが相当であり、原告はその労働能力を一〇〇パーセント喪失したものというべきである。

四  損害額

1  治療費 一一六九万九九一四円

(一) 昭和五七年三月五日から昭和六三年一一月三〇日までの治療費 三六八万〇三二四円

右二の1で認定した事実によれば、症状固定の日である昭和六〇年三月七日までの各病院における入通院治療及び症状固定後の神奈川リハビリテーション病院等での通院治療が本件事故と相当因果関係にあることは明らかであり、昭和五七年三月五日から昭和六〇年三月七日までの原告負担分を含む治療費が合計一六二万六五四四円であり、昭和六〇年三月二三日から昭和六三年一一月三〇日までの間の治療費が二〇五万三七八〇円であることは当事者間に争いがない。

(二) 将来の治療費 八〇一万九五九〇円

右二の1の(三)で認定した事実によれば、原告は昭和六三年一二月以降現在まで投薬治療を受けており、かような治療は将来も必要であることが認められる。

原告は、昭和六三年一二月現在五一才であるから、昭和六一年簡易生命表によると、その平均余命は二七年であり、前認定の昭和六〇年三月二三日から昭和六三年一一月三〇日までの治療費二〇五万三七八〇円を基に年間平均治療費を求めると、その額は五四万七六七四円(二〇五万三七八〇円÷四五か月×一二=五四万七六七四円、円未満切捨)となるから、ライプニッツ方式により計算して将来の治療費の現価を計算すると、次のとおり、八〇一万九五九〇円となる。

五四万七六七四円×一四・六四三=八〇一万九五九〇円(円未満切捨)

2  通院交通費 一四一三万七五七三円

植松病院退院後の昭和五七年四月一日から症状固定の日である昭和六〇年三月七日までの通院治療及び昭和六〇年三月二三日以降将来にわたっての通院治療と本件事故との間に相当因果関係があることは、前認定のとおりであり、昭和五七年三月七日までに要した通院交通費が二二八万七一三〇円であること及び昭和六〇年三月二三日から昭和六三年一二月三一日までに要した通院交通費が二四五万八六四三円であることは、当事者間に争いがない。

次に昭和六四年一月以降の将来の通院交通費を求めるに、昭和六〇年三月二三日から昭和六三年一二月三一日までの右通院交通費二四五万八六四三円を基に算出した年間平均通院交通費が六四万一三八五円(二四五万八六四三円÷四六か月×一二=六四万一三八五円、円未満切捨)であるから、平均余命を二七年と認め、ライプニッツ方式により計算すると、次のとおり、九三九万一八〇〇円となる。

六四万一三八五円×一四・六四三=九三九万一八〇〇円(円未満切捨)

したがって通院交通費の総額は一四一三万七五七三円となる。

3  雑費 一三万五三〇〇円

原告は、前記国際親善総合病院の医師の勧めで、昭和五七年一二月頃、代金一〇万六五〇〇円で眼鏡を購入し、昭和五九年三月頃には、歩行練習のため代金一五〇〇円でステツキを購入し、また同じ頃、横浜桐峰会病院の医師の勧めにより代金二万七三〇〇円でコルセットを購入した。(<証拠略>)。

4  休業損害 二五六二万二九二八円

原告は、本件事故当時、自宅で理容店を営業していたが、本件事故による受傷のため、昭和五七年三月六日から症状が固定した昭和六〇年三月七日までの一〇九八日間休業せざるを得なかった(<証拠略>)。

原告の昭和五六年における年収は八五一万七八〇三円である(<証拠略>)から、これを基にして右の期間における休業損害を求めると、次のとおり二五六二万二九二八円となる。

八五一万七八〇三円÷三六五日=二万三三三六円(円未満切捨)

二万三三三六円×一〇九八日=二五六二万二九二八円

5  逸失利益 一億〇六一四万八八六〇円

原告が前示の後遺障害により、その労働能力を一〇〇パーセント喪失したことは、前認定のとおりであり、その喪失期間は、症状固定時の原告年齢が四七才であるから、二〇年と認めるのが相当である。

そこで前記の収入を基礎として、ライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、原告の逸失利益の現価を算出すると、次のとおり、一億〇六一四万八八六〇円となる。

八五一万七八〇三円×一×一二・四六二=一億〇六一四万八八六〇円(円未満切捨)

6  慰謝料 一六〇〇万円

本件事故の態様、原告の傷害の部位・程度・治療の経過、後遺障害の内容・程度その他諸般の事情を考慮すると、原告の慰謝料としては、一六〇〇万円をもって相当と認める。

7  合計額 一億七三七四万四五七五円

右1ないし6の合計額

8  過失相殺

前認定のとおり、本件事故の発生について原告にも過失があり、その割合を三割とするのが相当であるから、右認定の過失割合にしたがい、右7の金額から三割を減額すると、一億二一六二万一二〇二円(円未満切捨)となる。

9  損害の填補

原告は自賠責保険及び被告から合計一六七〇万円の支払を受けている(当事者間に争いがない)ので、原告の右8の損害額からすると、原告の残損害額は一億〇四九二万一二〇二円となる。

弁護士費用

本件事案の内容、訴訟の経過及び認容額その他諸般の事情を考慮すると、原告が本件事故と相当因果関係のある弁護士費用として被告に求め得る額は、七〇〇万円と認めるのが相当である。

五  結論

原告の認容額は一億一一九二万一二〇二円及びこれに対する本件事故発生の日である昭和五七年三月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員となる。

(裁判官 前田博之)

別紙<省略>

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